KSプロジェクト「総合フィールド演習」・品川フィールドワーク(第2回)
2017.11.14
11月3日(日),KSプロジェクト「総合フィールド演習」の一環でフィールドワークを行いました.以前,6月3日(土)に実施した第1回目の品川でのフィールドワークの際に見残した部分を,時間をかけて再踏査し,複合的な品川地域の成り立ちを再検証・再発見することが目的でした.
前回は,大森方面から北上し,品川駅に達する比較的「直線ルート」だったのに対し,今回は,逆方向に南下し,かつ,東側(東京湾側)と西側(山手側)に展開する史跡をたどる「ジグザクコース」を踏査しました.中世からの湊・漁業の町,東海道の宿場町,大名屋敷の連なる邸宅群,「海」の字のつく寺院や神社が集中的に設営された町並み,山と海に囲まれた地勢,など実際に踏査してみると多様な要素が時代の積み重なりと共に複雑にまとわりついていることがはっきりしてきました.研究課題の発見が各自に自覚される良い踏査ができた一日であったと思います.
以下に,踏査した寺社仏閣や地形など,フィールドワークの様子を紹介します.
品川駅を出てすぐの「八つ山橋」鉄橋・踏み切りにて,西武鉄道とコラボする京浜急行の黄色い車輌に出会い,幸先のよさそうなスタート.品川宿の北部・北品川方面から旧東海道に入ります.前回はお祭りでにぎわっていましたが,今回の旧東海道はまた異なった雰囲気で,何度も訪れることの重要性を教えてくれます.そして,旧東海道から常に海側には緩やかな坂道(右写真)があります.
前回,祭事で十分見ることができなかった部分を丹念に見て回りました.まず,「問答河岸」という徳川家光と沢庵宗彭の掛け合いに由来するという河岸の跡の木札説明版をみんなで読みます.
次に,ちょうど開店していた「桝翁軒」(ますおうけん)の櫛団子に舌鼓をうちました.一本100円.タレも含めて元気が出る絶品の甘味!こういうのもフィールドワークの重要な部分です.
今回は,街道筋(表通り)から横道にそれることをあえてしてみました.狭い空間に家並みがひしめいて小道がとおっていることがわかります.そこに独特のくらしがいとなまれていることが確認できました.時宗の音響山善福寺という寺院.時宗の寺院自体が珍しく,墓地も併設され,檀家もあるようですが,阿弥陀堂と思われる建物の支柱が崩れそうになっているのが印象的です.その阿弥陀堂の壁面には「伊豆の長八」の鏝絵の技法で竜が描かれていました.またお堂の前の銅製の手水甕の制作年代を確認しました.「嘉永7年」とよめます.
明治天皇の行幸跡が「聖跡」とされ,公園化されている.近代国民国家を早急につくり,「万国対峙」を急いだ明治政府が,幕府の将軍の地位に代えて,「人心」収攬のコアに「天子様」をもってこようとした意図を感じます.東京から他地域への出立の際,あるいは,東京に地方からやってくるものを迎える際,いずれも,天皇はこの品川を拠点にしていたことの反映を読み取ることができます.
品川地域の「鎮守」だった「荏原神社」へ.七五三におとずれた家族連れが記念写真を撮っているのが季節を感じさせます.この神社は「品川囃子」とよぶ独特の調子の囃子で神輿の海上渡御をする祭事で知られています.目黒川が品川の湊に注ぐ河口に存在し,海と内陸をつなぐ大切な役割をもっていたことを髣髴させてくれました.ここと府中の「大国魂神社」には神事上でつながりがあり,今後の我々の研究課題でもあります.
目黒川をわたり,南品川に入ります.前回,時間切れで境内に入れなかった「天妙国寺」にようやくたどり着きました.穏やかな秋の日差しがやわらかに境内いっぱいに降り注いでいました.紀伊半島出身と考えられる,室町期の商人・鈴木道胤の寄進による建立で,日蓮宗です.
昼食(各自自由)1時間余りをはさんで,午後1時15分に,京浜急行・青物横丁駅横の海雲寺境内に再集合.平蔵地蔵の碑をみんなで読みあい,役の行者(役小角)の像の解説などをしました.ムラサキシキブがたわわな実をつけていたのが印象的でした.
このあと,海雲寺前にて今後のコース取りを作戦会議しました.結局,山際の山内豊信夫妻の墓,仙台坂の名の元になった,仙台藩の下邸跡=鯖江間部藩邸跡を見学することにしました.山内豊信夫妻の墓のある丘は「下総山」とよばれていて,今は,マンションや倉庫群にさえぎられているが,この高さからはかつて東京湾を通じて房総半島が見渡せたことを確認できました.
更に,海側に出ます.運河状になっているが,土手沿いではぜ釣の釣り糸を垂れる人もいて,潮の香りが漂います.雰囲気がいいので休息していると.生徒の一人が空の彩雲を発見し,それを観測・撮影しえたのも僥倖でした.
海沿いに,浜川砲台(土佐藩の担当で,坂本竜馬も勤務した!!)跡を見学し,2年前に復元された小ぶりのホイッスル砲を見ました.その後,「鈴が森刑場」へはいる罪人の家族が最後の別れを惜しんだという,「涙橋」の異名をもつ橋を見学します.
「土佐藩」つながりで,立会川駅前の区立公園には坂本竜馬像が建っています.ここで,生徒は解散し,日暮れ前に無事終了できました.教員と生徒の一部で,土佐藩邸跡を確認し,京浜急行で品川駅に戻り,教員も品川駅にて解散しました.